1923(大正11)年
ウィーン生まれ。
ロシアのピアニスト、レオ・シロタ氏が父
レオ・シロタは、リストの再来と言われた。

5才の時、山田耕筰の招きで東京音楽学校(現・東京芸大)に赴任した父とともに来日し、少女時代を乃木坂で過ごす。
15才、サンフランシスコのミルズ・カレッジへ留学。第2次大戦始まる。

1945(昭和20)年
GHQ民政局のスタッフに志願し、滞日中の両親に会うため再来日。
22才の若さで日本国憲法の人権条項の草案作成に携わる。
その草案は、第14条「法の下の平等」、第24条「両性の平等の原則」などに生かされている。
また、日本政府との交渉には、通訳として立ち会った生き証人である。

1996(平成8)年
この年より日本全国で講演活動を展開、その数200ヶ所以上に及ぶ。

1997(平成9)年
エイボン女性大賞受賞

2005(平成17)年
第9回赤松良子賞受賞
女性差別撤廃条約批准20周年記念の会
国際女性の地位協会

6ヶ国語(英日露独仏西)に堪能。

2012(平成24)年
12月30日 ニューヨーク市にて逝去、89歳。